10月25日
私たちの春高予選が終わりました。
学校休校、そして緊急事態宣言から今日までの道のり。
長かったようであっという間でした。
出来ることに目を向けて、部員たちと手探りでこの大会に向き合って歩んでこれたのは私にとってもとても大きな財産になりました。
2月3月
突然目の前から掴み取った全国私学の中止が決まり、
最高学年となる3年生のこれからが一気に不安視されていきました。
4月
オンラインでHRが始まりました。
選手たちとは会えない日々でしたが、三年生にはこの先をしっかり考えるよう伝えました。
5月
オンライントレーニングを始め、新入生もそこへ参加し始め、少しずつ部活を再開し始めました。
関東予選、そしてインターハイ予選などほとんど大会が中止になり、三年生にその度に伝えるのが心苦しかった。
三年生には学校が再開したら面談をするのでそれまでは一緒にトレーニングを頑張ろう!と話し、
その約束通り、最後までオンライントレーニングに励んでくれました。
6月
なんとか学校が再開したものの、11人でこれまで頑張ってきた三年は2つに分かれました。
涙を呑んで引退していった三年生が6人。
残った三年生が5人となりました。
6月末にささやかながら、校内で引退する3年に向けて引退セレモニーとして紅白戦を行い、残った5人は気持ちを新たにスタートを切りました。
実際残ったとしても本当に春高予選が開催されるのか、
その時点では半々の可能性でしたが最後までやり切りたいと決意してくれました。
7月
ようやく部活の活動時間が1時間半程度になり、少しずつバレーボールの練習ができるようになってきました。
日曜は活動できず、週6回の練習も3回に制限され、出来ることも限られていました。
しかし短い時間で質の高い練習を行う集中力は鍛えられたと感じています。
8月
例年でありえない短い10日間だけの夏休みでした。
今年は合宿も遠征も大会もない。
短い学校での練習のみ。
果たして本当に他校と戦えるのか。
その不安ばかりでしたが、今できることに目を向けて地道にステップアップをする他ありませんでした。
休校〜緊急事態宣言〜自粛によって、体力・筋力・技術、全て低下した状態からじっくり下積みを重ねて、
ようやく動きを取り戻してきた頃でした。
そろそろ対外試合をしたい!という頃に
関東私学中止
という一本の電話。
9月のこの大会を目指して調整していただけにかなりショックな出来事でした。
三年生が私たちはすべての大会が中止になって引退していくのではないか…と悲しんでいたことを思い出します。
9月,10月
周りのこれまでお世話になった先生方が手作りで子供達のために関東私学の代替え試合やブロック大会を開催して下さり、
少しではありますが試合感を取り戻して大会を迎えられました。
大会当日
高校三年生、最初にして最後の公式戦になりました。
ベスト4に挑戦する!この目標を胸に3年間練習してきましたが、
結果は15点と14点と健闘したとは言えない点数でしたが、選手達は晴れやかな顔をしていました。
最後まで頑張ってよかった。
彼女たちはそう言いました。
自分たちでベスト8を掴み、
ベスト4へ挑戦する。
私生活から気持ちを正す。
人に応援され支えてもらうためには、自分たちが周りを支える。
そう考え毎朝校内を部員全員で清掃し始めた高校2年の新人戦前。
コロナで休校になるまで彼女たちの意思で続けました。
諦めないことの大切さ
努力し続けることの難しさ
相手を思いやること意味
この三年生は、これまでの日本の歴史の中でも1番不遇の代だったかもしれない。
しかしその分自分のこれまでの活動を見つめ、
何をすべきか、
これから何をしていかなければならないかを考えた代だったのではないでしょうか。
高校バレーボールが終われば人生が終わるわけではない。
むしろ終わったからこそ無限の可能性がこの先に広がっているのです。
これまでの努力や強い意思、
挑戦したいと願う高い志、
時には厳しい言葉掛けも出来る正しい優しさが、
彼女たちの武器となり、
彼女たちの人生をより豊かにしてくれると信じています。
私達はこれから新しい代をスタートさせます。
三年生が居たからこそベスト4へ挑む難しさを後輩は痛感する事が出来ました。
藤村女子バレーボール部はこれからも邁進していきます。
これからも応援宜しくお願い致します。
バレーボール部顧問
三井良介
コメント
コメントを投稿